後藤象二郎 伝

後藤象二郎

後藤 象二郎(ごとう しょうじろう)
1838年(天保9年) - 1897年(明治30)

幕末の動乱を生き抜き、明治には政治家として活躍。

1838(天保9年)年、高知城下(高知市)生まれ。
義理の叔父でもある吉田東洋が開いた鶴田塾で、一つ違いの竹馬の友板垣退助や岩崎弥太郎らと学んだ。

土佐藩大監察として武市瑞山を党主とする土佐勤王党の断罪を行う一方、 吉田東洋が暗殺された後、その経済政策を受け継ぎ、山内容堂の強力な支援の元に土佐藩の産業を活発にし、 殖産興業や西洋風の科学教育振興のための総合的施設「開成館」を創立。経営にあたって保守派の反対をおして斬新な施策や事業を推進した。

物産の販売や対外貿易のための「土佐商会」(開成館長崎出張所)主任に岩崎弥太郎を登用したのも彼。

後藤は時代の流れを読み取る卓越した能力があり、対立思想の勤王党であった坂本龍馬にも接近、 後に龍馬が考えた「船中八策」をもとに、大政奉還の建白を山内容堂に勧めたりもした。
龍馬が脱藩の罪を許されたのも彼の尽力による。

明治維新後、板垣退助の自由党結党に参加。 黒田内閣から第1次松方内閣にかけて逓信大臣、引き続き第2次伊藤内閣では農商務大臣を務める等、党派を超えた政治家として活躍した。 1897(明治30)年、60歳で没。

余談ですが日本人で始めてルイ・ヴィトンの鞄を買ったのは象二郎と言われています。明治16年の1月にシャンゼリゼの近くの店で旅行鞄を買ったという記録が顧客名簿の中にあるそうです。