寺田寅彦 伝
研究上の業績としては、地球物理学関連のもの(潮汐の副振動の観測など)や、1913年に「X線の結晶透過」についての発表(結晶解析分野としては非常に初期の研究の一つ)を行っている。また、”金平糖の角の研究”や”ひび割れの研究”など、統計力学的な「形の物理学」分野での先駆的な研究も行っている。
寅彦はいわゆる「理系」でありながら文学など文系の事象に造詣が深く、科学と文学を調和させた随筆を多く残している。その中には大陸移動説を先取りするような作品もある。「天災は忘れた頃にやってくる」は寅彦の言葉といわれるが、著書中にその文言はない。今日では、寅彦は自らの随筆を通じて文系と理系の融合を試みているという観点からの再評価も高まっている。
漱石の元に集う弟子たちの中でも最古参に位置し、科学や西洋音楽など寅彦が得意とする分野では漱石が教えを請うこともあって、弟子ではなく対等の友人として扱われていたと思われるフシもあり、それは門弟との面会日だった木曜日以外にも夏目邸を訪問していたことなどから推察できる。そうしたこともあって、内田百間らの随筆で敬意を持って扱われている。
また『吾輩は猫である』の水島寒月や『三四郎』の野々宮宗八のモデルとも言われる。このことは漱石が寒月の扱いについて伺いをたてる手紙を書いていることや、帝大理学部の描写やそこで行われている実験が寅彦の案内で見学した体験に基づいていることからも裏付けられる。