
坂崎 紫瀾
嘉永6年(1853年)- 大正2年(1913年)
斌(さかざきさかん)。明治時代の新聞記者、小説家、自由民権運動家。女権拡張論者としても知られている。
藩医の子として、江戸の土佐藩邸で生まれる。
安政2年(1855年)に発生した安政の大地震(安政江戸地震ともいう)を転機に一家で高知へ戻ることになる。
高知で父は医者を開業。斌は藩校『致道館』に入学。すぐにその才覚が発揮され、句読師などに任用された。 また、この致道館において生涯にわたり交友を続けた宮崎夢柳、土居通豫らと出会う。
明治5年(1872年)、彦根藩の藩校の教授となりますが短期間で辞職。その後、修道士・ニコライの塾や大教院などで短期間であるが学ぶ。
明治7年(1874年)に板垣退助らが創立した「愛国公党(※1)」に参画。また、この年には大教院の「教会新聞」の記者となった。
明治8年(1875年)には、司法省十五等出仕に任命され、翌年には長野県の松本裁判所に判事として赴任。 しかしながら、征韓論を唱えていた紫瀾は赴任から一年後に判事を辞職。「松本新聞」の編集長に。 その「松本新聞」の紙上で、普通選挙の実施を主張する社説を掲載するなどした。
※1 【愛国公党】
板垣退助らが結成した自由民権運動の政治結社。しかし、創立者のひとりである板垣退助らが帰郷したり、江藤新平が佐賀の乱に参加するなどしたため自然消滅となった。
※2 【土陽新聞】
自由民権運動で知られる政治家・板垣退助が創立した「立志社」の機関誌。1904年にこの「土陽新聞」から独立し、創刊されたのが「高知新聞」です。
1941年に高知新聞に吸収合併されました。
ちなみに高知県内での高知新聞の購読率の80%を超えており、全国的に高い数値となっています。
※3 【汗血千里駒(かんけつせんりのこま)】
坂崎紫瀾が土陽新聞にて連載した、坂本龍馬が主人公の小説。紫瀾を有名にさせた代表作。龍馬が世に知られるきっかけとなった。龍馬を主人公とした小説はこの「汗血千里駒」が初めて。
当時、自由民権運動が弾圧される中、政治的信条を鼓舞する目的とした政治小説が生まれた。 「汗血千里駒」も政治小説のひとつ。史実をからめたフィクション小説である。
